技術でも空間でもない
没入型体験(イマーシブ・エクスペリエンス)という言葉が、ここ数年で一般化した。しかしその多くが、技術と空間の話で終わる。プロジェクションマッピング。香りの演出。触覚デバイス。没入感を高める「手段」は増え続けている。
しかし私が問い続けてきたのは、別のことだ。
「観客に、いつ・どんな役割を・どう手渡すか」。
これが、没入体験の本質だと考えている。技術は道具だ。空間は舞台だ。役割の付与だけが、観客を「見る人」から「いる人」に変える。
BABEL no TOHでの実践
Mrs. GREEN APPLEのBABEL no TOH(2025年)で、この設計を一つの形にした。
観客は入場前に「巡礼者」という役割を告げられる。チケットではなく、巡礼の証として入場する。この前提が、体験全体を変える。
体験は3段階の役割移行として設計した。第一段階は「巡礼者」——正体のわからない場所に向かう、目的を持った旅人。第二段階は「傍観者」——物語が展開し始め、観客はその証人になる。第三段階は「共犯者」——物語の結末に、観客自身が関与していると感じる状態。
この3段階は、チームに事前説明していない。設計の中に仕込んだ。観客は自分でも気づかないうちに、役割を移行していく。気づかれない役割移行こそが、本物の没入だ。
アンケートで最も多かった言葉は「気づいたら泣いていた」だった。演出で泣かせたのではない。役割を受け取った観客が、自分で泣いたのだ。
まだ磨き残された地平
Punchdrunkが示したモデルは「役割を観客自身が選ぶ」設計だ。Sleep No Moreでは、観客は自分の意志でキャラクターを追いかける。自由度が高い分、体験の深度は観客の積極性に依存する。
NYXが探っているのは、別のモデルだ。「役割を設計して手渡す」。観客が選ばなくていい。設計者が、最適なタイミングで、最適な役割を渡す。積極性に依存しない没入を作る。
これはまだ、誰も完成させていない設計だ。
BABEL no TOHは、その一つの実験だった。完璧ではなかった。しかし手渡した役割が観客の中に届く瞬間を、確かに見た。それが証明できたなら、次の実験に進める。
観客が役割を受け取った瞬間、
体験は儀式になる。
NYXが設計するすべての体験に、この問いが先行する。「この体験で、観客はいつ役割を受け取るか」。答えが出ない設計は、まだ終わっていない。
— Shoichiro Tsuno · CCO, NYX
